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「はじめに」より田中氏がいちばん光り輝いていたのは、初めて長野県の知事になったときだ。田中氏だけでなく、彼を応援した長野県民みんなが輝いていた。田中氏は、彼らから求められていたのだ。県内経済が低迷しているいまは、行政執行の手堅さ、政治家としての責任感、そしてなにより財政運営の手腕が求められている。田中氏はその求めに応じ切っているだろうか。いま長野県政は、田中氏の短所ばかりが目につくステージへと入ったように見える。 二〇〇二年の出直し知事選が終わったあたりから、長野県の知事は田中氏のままでいいのだろうか、と漠然と考えるようになった。いや、迷っていたと言ったほうがいいかもしれない。改革者としての田中氏の像と、知事選をとおして感じた田中氏の実像との溝が少しずつ広がり始めていた。 迷いながら、初当選以来の田中氏の軌跡をたどり始めた。県議会や記者会見での田中氏の発言を追い、彼がマスメディアに発表したさまざまな文書を過去にさかのぼって読み、そして彼が立ち上げた検討委員会の議事録に目をとおした。 そして、一つの文書に行き着いたとき、胸のつかえが落ち、知事としての田中氏を検証したものを書き残そうと決めた。 その文書というのは、石原慎太郎氏が東京都知事に初当選した直後、『月刊現代』(一九九九年六月号)に掲載されたインタビュー記事だった。タイトルは「石原氏当選で『衆愚政治』は完成間近」だ。 編集部員の「大学の、また小説家の後輩として、石原氏に贈る言葉はありませんか」との質問に、田中氏は次のように答えた。 「故開高健氏は、満員電車で通勤していなくても、その満員電車に毎朝乗っている人の気持ちが描けなくては文学者ではない、と語りました。田園調布に自宅を持ち、麻布台に事務所を構える石原氏も、日本の文学史に残る作品で世に出たのですから、ぜひ、一般市民の気持ちを想像しうる文学者としての都知事であってほしいですね。でないと、大統領的変革を期待している一般市民は、『直木賞』『芥川賞』に愛想をつかした後のニヒリズムで、ひょっとすると大統領ならぬ『ヒットラー』を今度は選択しかねませんから」 田中康夫的なるものと、ヒットラー的なるものの類似性が心に引っかかっていた私は、この最後の一言をみて、勝手に合点がいってしまった。ヒットラー待望は、変革を期待している一般市民にではなく、田中氏の心のなかに宿っているのではないかと。 田中氏は頭がいい、だから怖いのだ。 本書では、知事であることの自覚(第一章)、情報公開・説明責任(第二章)、民意との距離感(第三章)、意識改革の進め方(第四章)、長期ビジョンと財政運営(第五章)――こうした点に焦点を当て、言動をできるだけ忠実に拾うことで、田中氏の手法と「改革者」の実像に迫ろうと試みた。 それが成功したかどうか、判断は読者に委ねるしかない。せめて田中氏のもう一つの横顔に気づいてほしいと願っている。そのうえで、それでも長所のほうが勝ると考えるのなら、とことん田中氏を応援すればいい。だが、前著『知事の仕事』以来、改革派と呼ばれる知事をはじめとして多くの知事の姿を見てきた私の目には、田中氏はとても危うく映るのである。 |